1.情報が真っ先に被災する

1995年1月17日未明。姫路に住む私は、大きな地鳴りで目を覚まされた。その直後に激しい揺れが襲う。姫路は震度4。それでも何もできなかった。しがみついてきた家内と、ただ揺れの収まるのを待つのみで、隣室に眠る子供たちを気遣うことさえ忘れていた。
あわててテレビをつける。豊岡震度5、京都震度5。山崎断層ではないらしい。震源地は日本海方面かと思われた。そのうちNHK大阪放送局の局内の揺れの様子が流れた。とんでもない揺れである。チャンネルを変えた。サンテレビは6時をすぎているのにテストパターンのまま。「おかしい」。震度を表す近畿のエリア地図に神戸の辺りだけ空白であった。今ふり返れば、この時、大規模災害の中心地は情報発信さえできなくなる事を実感した瞬間であった。
神戸の被災当事者たちはと言うと、停電のためテレビは見られず、暗闇のなか、何が起こっているのか事態把握もできない状況であった。
明るくなってきて、淡路や阪神間の衝撃的な映像が次々と流された。その日、職場要求交渉が予定されていたため、役員に連絡を試みたがすでに電話はほとんどつながらない。かろうじて姫路に住む役員から、「神戸には行けない。交渉は中止。当面は自宅待機」との電話が通じた。それ以降電話は全く通じなくなった。安否確認など全国からの電話で回線がすべてパンクした。その後に聞いた話では、県庁屋上の衛星回線機械室の中では、機器類が床に固定されていなかったため、両方の壁の間でシェイクされて県庁の衛星回線も沈黙していたという。
話を現在に戻す。現在、県の各機関の電話はすべてIP電話に切り替えられている。もしこの先、阪神大震災クラスの大規模災害が発生したなら、その時、IP電話は大丈夫だろうか。NTT回線では公衆電話と官公庁の電話は優先されていることを、震災の時に知った。IP電話では官公庁電話は優先されているのだろうか。ただ安いというだけで、危機管理など眼中にないままのIP電話切り替えではなかっただろうか。
新潟県中越地震の際には、IP電話は比較的つながりやすかったとの報告がある。しかし、地方部と大都市圏では普及率も異なるため、この情報は当てにならない。
2004年9月5日、和歌山沖地震が発生。この日は日曜日。たまたま休日出勤していた。長周期の横揺れから、すぐにプレート型だと思った。「津波がくる!」。すぐにテレビをつけて、震源地を確認の上、洲本土木に電話をかけたが、すでに通じない。時計を見ると発生から3分後であった。やはりIP電話も沈黙したのである。衛星電話でかけ直すが、洲本土木は、休日で誰もいないようである。担当課長宅に連絡しようとしたが、よく考えると衛星電話で個人宅にはつながらない。これも教訓である。衛星回線は時間外の職員呼び出しには役に立たないのである。
電話についてもう一つ。IP電話はインターネット経由であるため、もし停電すれば、当然IP電話は沈黙するのである。最近の個人宅の電話も多機能電話で、これまた電源がないとつながらない。
情報阻害は、復旧局面においても発生する。これは主にマスコミ報道の強弱に起因する。04水害では、豊岡の惨状にマスコミ報道が集中した。その一方で、同等の被害の出ている出石は、ほとんど報道されず、支援物資やボランティアなどの集まりに差が生じた。淡路もそうである。阪神大震災の際、連日のように画面を賑わしていた被災地報道が、2ヶ月後の地下鉄サリン事件発生の後、めっきり報道回数が減ったことでも、同様のことが伺える。マスコミはとかく派手な映像に群がり、そのすぐ横に陰ができる。マスコミに対してもそのあたりを意識して襟を正してもらいたいが、私たちも、災害当事者になるときにはこのようなマスコミ傾向の認識はしておく必要がある。

2. 情報遮断に備えた行動を

これまで述べてきたように、大災害時には「情報は途絶えるもの」とまず認識すること、その認識の上で次のとるべき行動を自ら判断していくことが大切ではないだろうか。
気に止めておくべきデータがある。2003年5月に発生した宮城沖地震の際、津波常襲地域である気仙沼市における、地震直後の住民避難行動に関する実態調査結果である。気仙沼市は過去に500人以上の津波犠牲者をだした地域であり、住民の津波に対する危機意識も高い地域である。気仙沼市の震度は5強。にもかかわらず津波を意識して避難行動をとった世帯は10%程度であった。ところがテレビ、広域無線など津波情報を得ようとした世帯は95%以上であった。つまりほとんどの世帯が避難せずに情報を待ったのである。中には「海の様子を見に行った」15%といった無謀な実態も見受けられた。「過剰な情報依存の下で、情報取得行動を優先するが故に、早い段階での避難の意志決定や、自発的な避難行動が阻害される。」とレポートの筆者は警鐘を鳴らしている。ハザードマップの普及も、自宅が浸水区域からはずれていたら避難しないという危険な側面も持っている。津波ハザードマップの作成根拠は、あくまで想定津波であり、想定外は当然起こりうるものなのである。
繰り返すが、「情報は途絶えるもの」という認識を強く持つべきである。その認識にたった上で、次には「目に入る情報から、見えない全体をイメージすること」。そしてそのイメージの下に「今動くべきことを、すぐ動く」ことを判断していくことが大切だと考える。
これまで私たちが体験してきた震災体験や水害体験は、この「イメージする」ために大いに役に立つ体験である。そのためには当時のことを、少しでも多く知ること。また、体験者は少しでも多く周囲に伝え続けること。これが大災害に備えることの、大切な一面ではないだろうか。

 震災から10年、そして04年水害。その時の度、組合としてまだ何かやれることはなかったか?ふり返れば、組合もやれることを考えてやってきたと思う。でも何か足りないのではと引っかかるものがあった。今回のアンケート結果を見て、はたと気づかされた。「自治労ボランティアが行われているのは知っていたが、近所のお年寄りの家にはきたが、組合員の私の家には来てくれず、家族だけで大変な思いで片づけた」との意見が書かれてあった。被災組合員の救済が十分やれていない!
これはボランティアではない。組合の本来活動なのだ。
 震災当時、私は全壊した組合員宅の引っ越し手伝いにも出かけた。でも組織的な活動ではない。
淡路支部では、倒壊しかかった組合員の家に、何人かが県の作業服で救援に行って、周囲の不満を招いたとも聞く。でもやっぱり、「仲間を助ける」と言うのが組合であるのだから、もっと組織的に取り組むべきではなかったか。これは反省して教訓とすべきことの一つ目。
もうひとつ反省すべきこと。これが本題である。
震災当時、県職労は組織としてのボランティア参加に積極的ではなかった。被災当時者組合であったから、出せる余裕がなかったとも言えるが、事はもう少し深いところにある。
 話は震災前にさかのぼる。その頃、行政ボランティアというのがあって、当局がこれを奨励した。休日等の行政イベントの手伝いをボランティアでやるべく、職員を募集したのである。ボランティアの意味は「公的機関では行き届かない部分を補うための慈善活動」である。それを「行き届く部分」に求めたわけである。安上がり行政である。公的業務を行うことで賃金を得ている公務員労働者が、無償で公的業務をやらされるわけであるから、賃金の値切りとも言える。組合はこれを批判した。このことが根底に流れていた。
 自治労ボランティアの要請があった時、その取り扱いをめぐっては、中央執行委員会でも消極意見が相次いだ。私もその一人である。「被災自治体から応援要請があり、それに応ずる形で公務で応援に入るのがスジではないか?」結果、第1陣は役員対応とした。
 実際、応援要請があったかは定かではないが、当局指示でも被災地派遣は行われた。避難所回りであった。組合は、避難所回りに派遣された組合員が宿泊所で床に直接毛布を敷いて寝ていたことに対して、マット配布など待遇改善の支援をした。
 避難所回りの成果は賛否両論。しかしそれよりも早く、全国から集まったボランティアが圧倒的規模で、被災地で活躍した。行政が量的機能麻痺に陥る中、多くの被災市民や被災組合員が救援を待っている状況で、原則にこだわっている場合ではなかったかも知れない。
 しかし未体験の大災害のなか、必死ですべき事を考えて動いてきた当時の執行部に、今、後追いで評するのは酷と言える。しかし教訓にはしておきたい。
 04年水害時、自治労ボランティア要請に対して、いち早く各支部に動員要請し、なおかつ本部執行部は、現地状況を10数度にわたって手書きメモをFAXして、さらなる動員上積みを依頼した。これも教訓を生かしてのことと思われる。
 例年の職場要求交渉の際には、「当局より現場を知っている」を自負する我が県職労である。今後また起こるかも知れない大災害、その時が来るなら、混乱する当局に対し、組合にしかできない情報力と行動力でもって、当局を補完する。そんなことがあってもよいのではないだろうか。いずれにせよ組合も危機管理能力を求められている。
決して消極的にならず、平時から前向きに取り組んでいきたい。