4月15日。一週間ずっと遺体安置所勤務についていて、このまま帰っては被災状況の報告ができないので、
名取市職員にお願いして、金曜日の午後に東部の津波被災地区を案内していただきました。

左が名取市の地図です。
黄色い地区が中心街ですが、その東側(右側)の緑の線が仙台東部有料道路です。
この道路は大半が盛土構造で、津波は道路を防波堤がわりにしてようやく止まりました。
従ってこの道路を通ると左右で景色が全く違います。

海岸線の黄色い地区が閖上(ゆりあげ)地区といって
古くからの漁村で、壊滅的な打撃を受けました。












空との境目の部分が東部道路です。
左奥のあたりは高架部分になっているので、
津波は高架下を抜けて西側にも及んでいます。
この辺りは農地ですががれきが一面に散乱しています。
ポツンと花束が供えられているところも…










ニュースでもよく見かけた陸上の漁船。
海は画面奥の防風林のずっと先です。














高低差がほとんどない地形で、地平線までがれきが続いています。
津波は邪魔するものもない中を好き放題に暴れ回った感じです。














右奥に見えるのは日和山という標高6m程度の人口の山です。
日本一低い山、天保山よりやや高いですね。
日本中どこにでもある名前ですが、漁師が漁に出るか否か日和を見るために
登ったという由来からのようです。
閖上の日和山は大正時代につくられたもので、
明治三陸沖地震の津波の経験から、津波が来たらここに逃げなさいといった石碑がありました。
地震の後、実際にこの山に逃げた人もいたようですが、頂上の祠ごと津波にのまれて、
山の上には流された家の屋根が被さっていたそうです。
石碑も山の下に落ちていました。

ちなみに手前の家の屋根に引っかかっている赤いものはバスです。







日和山に登るとあちこちでがれき撤去を行う重機が見えます。
ボランティアの給油班はここで重機をまわって給油作業していました。

日和山の頂上は地区の人の鎮魂の場にもなっているようです。
真新しい手製の碑がいくつかたてられています。
心の叫びが伝わってくるようです。














ここは閖上漁港に面した住戸連たん地区でした。
一軒も残っていない状況です。











漁港の物揚場もこのとおりです。
津波が原因なのか、地震が原因なのかも不明。
岸壁背後に海水たまっていて深そうでした。
岸壁から海を見ていてふと違和感を感じました。
「海面が高い!」         
たぶん岸壁全体が下がっているのだと思います。









閖上から少し南の北釜という地区です。
自然海岸から防風林の松林が3列くらいあったのですが松林もずいぶん倒れました。
建設資材置き場から流された足場用の鉄パイプです。
津波の流れた方角がはっきりとわかります。

この辺りは仙台空港の近くで、駐車場の車が大量に流されて放置されていました。







池ではありません。
立派な宅地です。
地盤沈下で津波がそのまま溜まっています。
この地区はまだ手つかずで遺体捜索もまだとのことでした。












奥に見える建物は仙台空港です。
滑走路はこのすぐ向こうです。
仙台空港の復旧は米軍が行って、この日、復旧第1便が飛び立ちました。
ここはアスファルトの駐車場でしたが、津波が運んできた砂で覆われています。

その砂の上に草が生えています。
地震からたった一ヶ月fだというのに、
生命力のたくましさに驚かされます。

この草のようにたくましく復興されるよう、応援していきます。



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